2016年06月07日
野人 岡野雅行氏の講演
昨日は、朝一から大阪(難波)周辺で打合せなどなどで夕方姫路へ移動
姫路で元サッカー選手 野人こと岡野雅行氏の講演を聞いてきました。

講師の岡野氏は、日本をワールドカップへ初出場へと導いたゴールを決めたことを記憶している方が多いと思います。
正直に自分も・・・その記憶しかない。
一人っ子だったことで、ご両親の勧めで小学生の時にサッカーチームに入り
そこからサッカーにのめり込むことに
そして、サッカーをするために高校を横浜から全寮制の島根県松江市の松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)へ
しかし・・・
サッカー部は2名というスタートから部員を集めて、最後には県3位になるまでの強豪になるが
そこに至る道のりが大変だったみたい。
昨日の講演ではじめて知ったのですが、入学した高校があの「魁!!男塾」のモデルだったとか
で、サッカーの試合もボールを蹴らずに相手選手を・・・
大学でも一般入学ではサッカー部に入部できない環境を入部テストの狭き門を抜けて入部が・・・
洗濯係に任命され、来る日も来る日も洗濯をしていた・・・
しかし、その様な環境でも諦めずに練習をし続けたことで
新しい指導者の目にとまり試合に出させてもらうという「運」を引き寄せ
試合に出れば得点を重ね、プロへ進むことに
プレースタイルから、代表にも召集され多くの方々が記憶しているゴールに繋がる!!
実際、あの試合を振り返ってのお話しでは
試合が進むにつれ・・・試合に出たくない!という気持ちが強く強くなっていった。
しかし、監督から呼ばれたときは・・・聞こえないふりもしたとのこと
出場すれば、外して、打たず、外して・・・と、もう逃げ出したい気持ちだったとか
あの最後のシュートがなければ、サッカーを辞めていた・・・
ここでも最後まで諦めず得点を奪いに行った結果が、今の岡野氏をつくった。

今は、現役を退きガイナーレ鳥取 ゼネラルマネージャーに就任しチームの顔として奮闘されている。
サッカー選手だった立場から
運営するフロントの立場になったが
姿勢を変えずにチーム強化、営業、広報の活動し続けている姿はやはり
『チャレンジしないと 何も始まらない 大事なのは諦めないこと』の言葉に集約されている。
姫路で元サッカー選手 野人こと岡野雅行氏の講演を聞いてきました。

講師の岡野氏は、日本をワールドカップへ初出場へと導いたゴールを決めたことを記憶している方が多いと思います。
正直に自分も・・・その記憶しかない。
一人っ子だったことで、ご両親の勧めで小学生の時にサッカーチームに入り
そこからサッカーにのめり込むことに
そして、サッカーをするために高校を横浜から全寮制の島根県松江市の松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)へ
しかし・・・
サッカー部は2名というスタートから部員を集めて、最後には県3位になるまでの強豪になるが
そこに至る道のりが大変だったみたい。
昨日の講演ではじめて知ったのですが、入学した高校があの「魁!!男塾」のモデルだったとか
で、サッカーの試合もボールを蹴らずに相手選手を・・・
大学でも一般入学ではサッカー部に入部できない環境を入部テストの狭き門を抜けて入部が・・・
洗濯係に任命され、来る日も来る日も洗濯をしていた・・・
しかし、その様な環境でも諦めずに練習をし続けたことで
新しい指導者の目にとまり試合に出させてもらうという「運」を引き寄せ
試合に出れば得点を重ね、プロへ進むことに
プレースタイルから、代表にも召集され多くの方々が記憶しているゴールに繋がる!!
実際、あの試合を振り返ってのお話しでは
試合が進むにつれ・・・試合に出たくない!という気持ちが強く強くなっていった。
しかし、監督から呼ばれたときは・・・聞こえないふりもしたとのこと
出場すれば、外して、打たず、外して・・・と、もう逃げ出したい気持ちだったとか
あの最後のシュートがなければ、サッカーを辞めていた・・・
ここでも最後まで諦めず得点を奪いに行った結果が、今の岡野氏をつくった。

今は、現役を退きガイナーレ鳥取 ゼネラルマネージャーに就任しチームの顔として奮闘されている。
サッカー選手だった立場から
運営するフロントの立場になったが
姿勢を変えずにチーム強化、営業、広報の活動し続けている姿はやはり
『チャレンジしないと 何も始まらない 大事なのは諦めないこと』の言葉に集約されている。
Posted by 統括MGふじ at 22:33│Comments(0)
│staff fuji